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zoom RSS 岡崎三十六地蔵 一日目 その2

<<   作成日時 : 2014/12/14 14:47   >>

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岡崎三十六地蔵一日目 その1からの続きです
第三十四番札所の成就院を目指します
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★浄瑠璃姫伝説
 浄瑠璃姫は、年老いて子どものいなかった矢作の長者、兼高夫婦が日ごろから信仰していた鳳来寺の薬師瑠璃光如来にお願いして授かった子と言われ、浄瑠璃姫と名づけられて、たいそう美しく育ちました。
時に平安の終わり頃のことです。
承安4年(1174年)、牛若丸(源義経)は奥州平泉の藤原秀衝(ひでひら)を頼って旅を続ける途中、矢作の里を訪れ兼高長者の家に宿をとりました。
ある日、ふと静かに聞こえてきた浄瑠璃姫の琴の音色に惹かれた義経が、持っていた笛で吹き合わせたことから、いつしか二人の間に愛が芽生えました。
しかし、義経は奥州へ旅立たねばならず、姫に形見として名笛「薄墨(うすずみ)」を授け、矢作を去りました。
姫が義経を想う心は日毎に募るばかりでしたが、添うに添われぬ恋に、悲しみのあまり、ついに菅生川(すごうがわ)に身を投じて短い人生を終えました…。
これが、今に伝えられる浄瑠璃姫の伝説です。
そして浄瑠璃姫の菩堤を弔うために、彼女の侍女、十五夜は剃髪得度し尼となり、安名を冷泉となし、姫が身を没した淵の川岸に庵室を結び冷泉寺としました。
また、義経の菩提を弔う為、多くの僧を招き、千本余りの卒塔婆を建て供養したことから、この地を「千本」といったとも云われています。
しかし冷泉寺もいつしかその碑のみが残るという程、荒れ果ててしまいました。
その地に竜沢永源が浄瑠璃姫の供養の為、建立したのが成就院の起こりといわれているのです。
敷地内の墓地の中には、浄瑠璃姫のお墓が今も奉られています。
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成就院すぐ北の菅生川には、浄瑠璃姫が身を投げたと言われている浄瑠璃ケ淵跡の碑があります
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現在の菅生川
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以前浄瑠璃姫伝説で廻った時の記事
http://89446138.at.webry.info/201303/article_1.html
第二十七番札所の誓願寺は浄瑠璃姫の菩提寺、さらに詳しく廻る事が出来そうです
第三十二番札所の安心院を目指します
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三河新四国、三河三十三観音でも訪れたお寺です
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水掛け地蔵さんです
寒そうですが水を掛けさせてもらいました
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第三十三番の無相庵を目指します すぐそこですが
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3体のお地蔵さまがみえました 両脇のお地蔵様の台には「先祖供養」とありました

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