岡崎市内をぶらりお参り ~ その17 龍海院

東岡崎駅の南口にほど近い場所に曹洞宗龍海院が享禄三年(1530年)からこの場で酒井家の菩提寺として松平家と酒井家を見守っています
龍海院は当初是字寺という名前でした
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三河三十三観音の第七番札所です
享禄三年(1530年)の元旦、松平清康(家康公の祖父)が「是の字を握った夢が気になる」家臣はほうぼうの寺社の占い師に聞かせたがわからないという返事ばかりで残すは龍渓院のみとなった使いの者が帰ってきて「模外和尚の夢判断では良い夢、しかもすばらしい夢と出ました。和尚が言うには日の下に人という三字で成り立っている。日の下の人とは、天下を握るという意味。殿でなければ、殿の子か、あるいは孫の代に天下を取ること間違いなし」
模外和尚からじきじきに同じ言葉を聞くと妙大寺(明大寺)の地にお堂を建て模外和尚を是字寺の開山第一世に向かえたのである。
朝夕是字寺に参禅する清康が浄土宗から禅宗に変わったのはそれから間もなくのことであった。
そのことを聞いた大樹寺の宝譽住職はきげんを損ね清浄院へ移ってしまった。先祖代々の墓を守っていた住職だったので清康もたいへん困り浄土宗に再び戻り家老の酒井正親に檀家総代になることを命じている。
清州攻めの最中味方の誤りで殺された清康は25才、その後家督を継いだ広忠(家康公の父)は伊勢へ逃れた。こうして今川氏と織田氏により松平の領土はなだれのように削り取られていった。
殿清康が三十歳まで生きていたならば天下を治めていただろうに・・・と家臣から清康の死を悔やむ言葉が必ず出た。
清康が是の字を夢見てから七十三年後、悲運の歴史をはね返し、天下統一の偉業をなととげたのは、清康の孫徳川家康であった

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この記事へのコメント

かのこ
2015年04月26日 20:47
丁寧な記事をありがとうございます。駅に近いところでしたら、また岡崎に行ったときに訪れます。家康公400年の年ですし、いろいろ勉強させてもらいます。
2015年04月26日 20:49
文字ばかりの記事で、文字を追わせてしまい申し訳ありません
400年の年何か発信しなくてはと歴史を紐解いています

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