12年に一度の盛儀 その2 ~ 三河善光寺 久後山無量寺 秘仏騎乗馬頭観世音菩薩
再度のお参りに訪れました
御開帳初日の様子は→こちら
今回は三河三十三観音の番外札所としてのお参りです
騎乗馬頭観世音菩薩様の右手と繋がっている回向柱です
どうぞお近くまでという事なのでまじかで拝む事が出来ました
善の綱で繋がっていますね
無量寺の秘仏騎乗馬頭観世音菩薩様は三面八臂のお姿で
八臂のうち六臂は色々な武器を持ちニ臂は「馬頭印」という特殊な印相を結んでします
三面のお顔は、牙を剥き出した憤怒相です
洪水にあった際、本堂ごと川に流されるが、頭の上の馬に乗り大川の中から脱出し、岡崎城内の岸にたどり着かれ、馬に乗る珍しい姿になったという言い伝えがあります。
通常の馬頭観音様の頭には馬をつけていますが、これは馬が周囲の草をむさぼるように,人間の煩悩を食べ尽くして救済するということのようです。
無量寺の騎乗馬頭観世音菩薩様は頭に馬は無いですが鬼の形相で馬に乗りいち早く駆けつけ煩悩を食べ尽してくれるすばらい観音様です
承安の頃、牛若丸(源義経)は、奥州平泉の藤原秀衡を頼って旅を続ける途中、矢作の里を訪れ兼高長者の家に宿をとりました。
ある日、ふと静かに聞こえてきた浄瑠璃姫の琴の音色に惹かれた義経が、持っていた笛で吹き合わせたことから、いつしか二人の間に愛が芽生えました。
しかし、義経は奥州へ旅立たねばならず、矢作を去りました。姫が義経を想う心は日毎に募るばかりでしたが、添うに添われぬ恋に、悲しみのあまり、ついに菅生川(すごうがわ)に身を投じて短い人生を終えました。
浄瑠璃姫の死後、矢作の里に戻った義経は死を悼み騎乗馬頭観音さまを安置し、供養したという。
浄瑠璃姫伝説 その1 その2 その3
三河三十三観音の納経帳に重ね押しと十二年に一度の盛儀 御開帳記念印を押してもらいました
12年に1度の御開帳、しかも1ケ月ちょっとの期間です
多くの方が3種類(三河善光寺、久後山無量寺、御開帳記念)の御朱印を求めて順番待ち
(僕が行った時は3人)でした
通常手書きの御朱印は300円です 3種類なので900円です

ブログ友さんの記事に手書きご朱印があります→こちら
専用納経帳に御朱印の印のみの場合は100円です
帰りに三河三十三観音の第七番札所曹洞宗龍海院に寄りお参りをしてきました
ここでも二巡目の重ね押しです

御開帳初日の様子は→こちら
今回は三河三十三観音の番外札所としてのお参りです

騎乗馬頭観世音菩薩様の右手と繋がっている回向柱です
どうぞお近くまでという事なのでまじかで拝む事が出来ました

善の綱で繋がっていますね

無量寺の秘仏騎乗馬頭観世音菩薩様は三面八臂のお姿で
八臂のうち六臂は色々な武器を持ちニ臂は「馬頭印」という特殊な印相を結んでします
三面のお顔は、牙を剥き出した憤怒相です

洪水にあった際、本堂ごと川に流されるが、頭の上の馬に乗り大川の中から脱出し、岡崎城内の岸にたどり着かれ、馬に乗る珍しい姿になったという言い伝えがあります。
通常の馬頭観音様の頭には馬をつけていますが、これは馬が周囲の草をむさぼるように,人間の煩悩を食べ尽くして救済するということのようです。
無量寺の騎乗馬頭観世音菩薩様は頭に馬は無いですが鬼の形相で馬に乗りいち早く駆けつけ煩悩を食べ尽してくれるすばらい観音様です

承安の頃、牛若丸(源義経)は、奥州平泉の藤原秀衡を頼って旅を続ける途中、矢作の里を訪れ兼高長者の家に宿をとりました。
ある日、ふと静かに聞こえてきた浄瑠璃姫の琴の音色に惹かれた義経が、持っていた笛で吹き合わせたことから、いつしか二人の間に愛が芽生えました。
しかし、義経は奥州へ旅立たねばならず、矢作を去りました。姫が義経を想う心は日毎に募るばかりでしたが、添うに添われぬ恋に、悲しみのあまり、ついに菅生川(すごうがわ)に身を投じて短い人生を終えました。
浄瑠璃姫の死後、矢作の里に戻った義経は死を悼み騎乗馬頭観音さまを安置し、供養したという。
浄瑠璃姫伝説 その1 その2 その3
三河三十三観音の納経帳に重ね押しと十二年に一度の盛儀 御開帳記念印を押してもらいました

12年に1度の御開帳、しかも1ケ月ちょっとの期間です
多くの方が3種類(三河善光寺、久後山無量寺、御開帳記念)の御朱印を求めて順番待ち

通常手書きの御朱印は300円です 3種類なので900円です


ブログ友さんの記事に手書きご朱印があります→こちら
専用納経帳に御朱印の印のみの場合は100円です

帰りに三河三十三観音の第七番札所曹洞宗龍海院に寄りお参りをしてきました
ここでも二巡目の重ね押しです

この記事へのコメント
なんたって12年に1度の勢儀ですから
あまり行かないエリアなので、ついつい忘れてしまいます。
この時期なら御朱印も貰いやすそうだしね。