牛尾観音 音羽山 大谷 走井餅 蝉丸神社 ~ 京都76 その2
牛尾観音 音羽山 大谷 走井餅 蝉丸神社 ~ 京都76 からの続きです
10:45 音羽山山頂に到着
京都市内が見渡せます
京都タワー、京の夏の旅で公開中の花山天文台が見えます
琵琶湖方面は今一ですね
絶景を眺めながらコンビニおにぎりで昼食です
11:00 大谷駅を目指します
追分駅にも途中にもトイレが無く公衆便所の標識を見て行きたくなりました
11:15 公衆便所に到着 昼でも暗いので中に入るのにかなりの勇気が必要です
整備された急こう配の延々と続く下りになります
11:50 ようやく国1に出ました 延々と続く下りで膝が痛くなり途中で何度も心が折れました
11:55 歩道橋を渡り蝉丸神社に到着 旧東海道に降ります
旧東海道の参道入り口
ここから走井餅発祥の地に向かいます
国1沿いの大津算盤の始祖の碑 三井寺観音堂の上の展望台に大きなそろばんの碑がありました
ここは交通の難所 国1、京阪、名神、山の下には東海道線のトンネルが走っています
12:10 月心寺に到着
走井餅は江戸時代中期の明和元年(1764年)に大津で創業、湧水「走井」を用いて、初代井口市郎右衛門正勝が餡餅を作ったことに始まります。
走井は、成務天皇の産湯に用い賜れるほどの名高い水でありました。
刀の荒身を模した独特の形は、平安時代に名を馳せた刀鍛冶・三條小鍛冶宗近が走井で名剣を鍛えたという故事にちなみ、剣難を逃れ、開運出世の縁起を担いだものと伝えられています。
安藤広重「東海道五十三次」の大津宿にも描かれた大津名物走井餅は、明治43年(1910年)6代井口市郎右衛門の四男嘉四郎によって、名水で名高い石清水のふもとへ引き継がれました。
やわたへ受け継がれほどなくして大津の本家は廃業。その跡は現在、月心寺となっております。井口家の生家で、走井餅発祥のその場所には、今でも滾々と走井の名水がわき続けております。
なお本家廃業と同時に、当家が直系唯一の走井餅となりました。
↑ 八幡走井餅HPより
塀から覗きました 本格的な茶室、井戸も覗けれました
大谷駅に戻ります 旧東海道の標識があります
歩道橋で渡ると大谷茶屋(うなぎ屋)があります
大谷駅入り口の民家に「元祖走井餅本家」の碑がありました
旧東海道らしい町並み この辺りはうなぎを焼く良い臭いが充満しています
駐車場で見つけた東海道五十三次の画 走井餅の茶屋が描かれています
きんし丼で有名なかねよさんがあります 国1側が席料が発生するかねよさんで山側がレストランかねよです
逢坂の関跡にトイレがあります
12:30 弘法大師をお参りして
12:35 関蝉丸神社上社をお参りして
国道161に入るとすぐに旧逢坂山隧道東口の看板がありました
鉄道記念物とあります
12:53 関蝉丸神社下社に到着 京阪電車の踏切があります
本殿内の狛犬が個性的です
13:00 東海道線のトンネル入り口を見て大津駅に向かいました
音羽山からの絶景は東山の大文字からの景色と比べ何倍も素晴らしいものでした
低山ですが素晴らしい景色を見れました
大谷駅から音羽山へ向かうのはすごい上りとなるので牛尾観音からの方が良いですね
僕は大谷駅から音羽山へ上る自信は無いです
予定より2時間も早く到着しました
山科駅まで戻り駅前で生ビールを飲み2度目の昼食を摂りました
その1は → こちら
10:45 音羽山山頂に到着
京都市内が見渡せます
京都タワー、京の夏の旅で公開中の花山天文台が見えます
琵琶湖方面は今一ですね
絶景を眺めながらコンビニおにぎりで昼食です
11:00 大谷駅を目指します
追分駅にも途中にもトイレが無く公衆便所の標識を見て行きたくなりました
11:15 公衆便所に到着 昼でも暗いので中に入るのにかなりの勇気が必要です
整備された急こう配の延々と続く下りになります
11:50 ようやく国1に出ました 延々と続く下りで膝が痛くなり途中で何度も心が折れました
11:55 歩道橋を渡り蝉丸神社に到着 旧東海道に降ります
旧東海道の参道入り口
ここから走井餅発祥の地に向かいます
国1沿いの大津算盤の始祖の碑 三井寺観音堂の上の展望台に大きなそろばんの碑がありました
ここは交通の難所 国1、京阪、名神、山の下には東海道線のトンネルが走っています
12:10 月心寺に到着
走井餅は江戸時代中期の明和元年(1764年)に大津で創業、湧水「走井」を用いて、初代井口市郎右衛門正勝が餡餅を作ったことに始まります。
走井は、成務天皇の産湯に用い賜れるほどの名高い水でありました。
刀の荒身を模した独特の形は、平安時代に名を馳せた刀鍛冶・三條小鍛冶宗近が走井で名剣を鍛えたという故事にちなみ、剣難を逃れ、開運出世の縁起を担いだものと伝えられています。
安藤広重「東海道五十三次」の大津宿にも描かれた大津名物走井餅は、明治43年(1910年)6代井口市郎右衛門の四男嘉四郎によって、名水で名高い石清水のふもとへ引き継がれました。
やわたへ受け継がれほどなくして大津の本家は廃業。その跡は現在、月心寺となっております。井口家の生家で、走井餅発祥のその場所には、今でも滾々と走井の名水がわき続けております。
なお本家廃業と同時に、当家が直系唯一の走井餅となりました。
↑ 八幡走井餅HPより
塀から覗きました 本格的な茶室、井戸も覗けれました
大谷駅に戻ります 旧東海道の標識があります
歩道橋で渡ると大谷茶屋(うなぎ屋)があります
大谷駅入り口の民家に「元祖走井餅本家」の碑がありました
旧東海道らしい町並み この辺りはうなぎを焼く良い臭いが充満しています
駐車場で見つけた東海道五十三次の画 走井餅の茶屋が描かれています
きんし丼で有名なかねよさんがあります 国1側が席料が発生するかねよさんで山側がレストランかねよです
逢坂の関跡にトイレがあります
12:30 弘法大師をお参りして
12:35 関蝉丸神社上社をお参りして
国道161に入るとすぐに旧逢坂山隧道東口の看板がありました
鉄道記念物とあります
12:53 関蝉丸神社下社に到着 京阪電車の踏切があります
本殿内の狛犬が個性的です
13:00 東海道線のトンネル入り口を見て大津駅に向かいました
音羽山からの絶景は東山の大文字からの景色と比べ何倍も素晴らしいものでした
低山ですが素晴らしい景色を見れました
大谷駅から音羽山へ向かうのはすごい上りとなるので牛尾観音からの方が良いですね
僕は大谷駅から音羽山へ上る自信は無いです
予定より2時間も早く到着しました
山科駅まで戻り駅前で生ビールを飲み2度目の昼食を摂りました
その1は → こちら
この記事へのコメント
どこも歩いたことはないのですが
若い頃から 逢坂山越えは
なぜかとても心ひかれます。
滋賀生まれなので幼い頃 京都へ入るには
ここをバスで越えたし 30年前は逆に
京都から上栄町の日赤まで
父の見舞いに通ったりと
府県越えの逢坂山には思いがあります。
逢坂の関は 古来から貴族・武士・文人も
多くの人が越えた交通の要衝だったのですね。
今は こんなトイレになってるとは!
私は京阪京津線の追分~大谷~上栄町までの
高低の傾斜と急カーブの連続区間が
とても好き!なんです。大谷付近は
日本第3位の勾配傾斜なんだそうで
そのため大谷駅のホームのベンチは
左右の足の高さが違うんだそう。
今まで下車したことがない大谷駅あたり
楽しんでみたくなりました。
ちょうど王朝歌人の話を読んでいて、猿丸太夫、蝉丸。。どうして蝉丸は坊主めくりでは鬼ふだみたいになっているのかなとおもってしまいました。。こんな今でものこる逢坂山の歌を盲目でよんでいるのにね。
有名な逢坂山は、急こう配、今はトイレも大変なのですね。交通の要所は今もかわらず、すべての道は京につながるのですね。
ちょうど広重展を安城歴史博物館に行ってきて大津のまさにその絵を見ました。走井茶屋のことを、学芸員さんに、この間八幡の走井茶屋さんにいってきたんですよと話をしてしまいました。
さらにブログで拝見できてよかったです。今は月心寺さんなのですね。
土用の丑、うなぎおいしそうですね、
興味深い記事ありがとうございました
行かれた事が無いんですね
すごく良い地でしたよ
京阪大津線のこの区間はレールと車輪が軋む音、人間のようにゼイゼイと息をするかのような電車の音初めて乗った時はすこし怖かったです
関蝉丸神社下社の参道を横切る踏切も急カーブとなっており電車が通過する時レールに油を吹き付ける仕組みになっていました
カーブでの摩擦熱を抑えるためでしょうね
大谷駅のベンチは有名ですね
今回は見どころ満載だったので見るのを忘れてしまいました
三つある蝉丸神社に行きましたがいずれも寂れ、荒れ無残な社となっていました
百人一首で歌われていた時代は見る影もありません
少しさびしくなりましたが走井餅の発祥の地を辿り満足しました
土用の丑の日ですね
うなぎ食べようかなぁ~